21歳の時、私は歩き遍路をしました。空海にゆかりのある四国八十八ヵ所の寺院をすべて徒歩で巡礼するもので、全行程は約1200kmあります。
お遍路は仏教的な起源を持っていますが、お遍路をする人は必ずしも仏教徒というわけではありません。懺悔のため、自己を見つめるため、単なる旅行など様々な目的で四国にお遍路さんはやってきます。そして、お遍路がきっかけとなって新しい気付きを得られるというケースが多いのです。

人生は1度きり

日本人の平均寿命は約80歳、お遍路は全部で88箇所ある。
歩いてお遍路をしているとき、このようなことを考えました。お遍路は人生の縮図のようなものかもしれないと思ったのです。人生は後戻りできません。人は毎年、コツコツと年齢を重ねて平均すると80歳前後で亡くなります。平均寿命の80という数字と、お遍路の88という数字が近いため重ね合わせました。
お遍路に自宅から出発する瞬間を0歳の誕生日、1番札所の霊山寺で1歳、88番札所の大窪寺で88歳、そして結願と同時に亡くなると考えてみてください。
基本的にお遍路は後戻りしません。次々と札所で参拝して、また次の札所に向かいます。さらに、一度通過した町には戻らないし、数々の出会いは一期一会となります。
お遍路という後戻りのできない一方通行の経験は人生の指針を考える上でヒントになります。特に、自分の年齢を札所の番号に重ね合わせてみると、これまで歩いた道、これから先の道を思い出し、考えやすくなります。
人の一生はとても長いように感じます。それは時間がゆったりと流れているため、毎日の変化に気づきにくいからです。しかし、年老いて死を目前にすると人生は短かったと嘆くかもしれません。時間は待ってはくれません。静かに、確実に進んでいるのです。

20代の可能性

私が人の寿命とお遍路の札所を重ね合わせることを考えたのは第21番札所の太龍寺でした。当時21歳だったためです。
太龍寺と言えば、まだ徳島県内の札所です。これから高知、愛媛、香川を歩かなければならないので、お遍路では序盤です。
お遍路中は高齢者のお遍路さんと話す機会が多かったのですが、自分が20代であることを伝えると、「何でもできる年や」とたびたび言われました。
大学に入ると専門的な勉強をするので、ある程度進路が絞られます。そのため、「何でもできる」という感覚は私にはありませんでした。しかし、お遍路の中で、21札所/88札所、126km/1400km、始めて7日目といったスケールで考えると、確かに可能性はまだ広がる時期だと思いました。
人生の縮図であるお遍路を自分の足で歩くことで初めて「何でもできる年齢」ということを体感することができました。
10代後半から20代前半では受験、就職、恋愛、結婚、将来の夢など大きな岐路に出会うことが増えますが、少々の失敗はいくらでも挽回できる年齢です。それが20代の特権です。しかし、そこで立ち止まってしまうと、時間の流れはあっという間に影響してきます。
人生は一度きり、後悔しない生き方を選びたいですね。