本堂や大師堂を参拝せず御朱印を集めることを目的にお遍路をすることをスタンプラリー遍路と呼ばれています。

ベテランお遍路さんや札所関係者の中には「スタンプラリーは本当のお遍路ではなく、全く意味が無い。ご利益など授かれるはずもない。」と考える人もいます。

なぜ、彼らは他人の参拝方法を非難するのでしょう。スタンプラリー遍路は、いったい誰に迷惑をかけるのでしょう。それには御朱印の意味を知らなければなりません。

功徳とは

お遍路は四国にある八十八ヶ所の札所(寺院)を巡る旅で、弘法大師による開創から1200年の歴史を持ちます。

四国遍路が他の観光地と大きく異なる点として、多くのお遍路さんは白装束に身を包み”観光客”というよりむしろ”参拝者”としてお遍路をしていることにあります。そのため、各札所で般若心経などのお経を唱え、本尊や弘法大師を拝みます。

読経や賽銭をすると、功徳を積むことになります。功徳とは仏教的に善い行いのことで、功徳を積むと現世または来世にご利益を授かることができるとされています

四国遍路をすると病気が治る、罪が許される、死者がよみがえるなどの言い伝えが数多く残されているので、最後の希望を抱いて参拝する方も少なくありません。

御朱印の意味

寺や神社を参拝すると墨書と朱印のサインをもらうことができ、御朱印をもらうことは納経(のうきょう)と呼ばれています。四国八十八ヶ所では納経帳への御朱印は300円で一律です。

もともと、「納経」は経を納めるという意味で、読経や写経をした証として御朱印は発行されていました。しかし、今では料金さえ支払えば御朱印をいただくことができます。

そのため、お経を唱えずに御朱印をもらうことは功徳に結びつかないと考える人がいるのです。

住職に注意されることもある

ここで住職の立場でスタンプラリー遍路を考えてみましょう。前述のように仏教では功徳を積むことでご利益が得られるとされています。そのため、せっかく参拝に来たのに、「読経をしないのはもったいない」「正しい方法を教えなければ」と思うのです。

お坊さんは人々に正しい仏教知識を広めることが仕事です。そのため、真面目なお坊さんであるほど、スタンプラリー遍路をする人とトラブルになることがあります。以下はある札所の口コミになります。

お互いの人間性にもよりますが、スタンプラリー遍路をすると、同じような忠告を受ける可能性があります。

もし忠告を受けた場合は、自分の考え方を大切にしつつ、相手の立場も考えて、「教えていただきありがとうございます」と言えるくらいの余裕を持っていると良いのではないでしょうか。

功徳を邪魔する行為

信仰心の無い人はスタンプラリーでも良いじゃないか。と思うかもしれませんが、その行為が他人を不快にさせる恐れがあります。

例えば、団体でスタンプラリーをすると納経所には順番待ちの列ができます。すると、お経を唱えてきた人が待たされることになってしまいます。札所としても正しく参拝した方を優先したいと思うのは当然です。

また、他人が読経している近くで鐘を鳴らしたり、大声を出したりすると功徳を邪魔する行為になってしまいます。

スタンプラリー遍路は個人の自由で、禁止されているわけではありません。しかし、他人への思いやりが欠けた参拝方法は非難されます。納経所では「お先にどうぞ」といった言葉も大切です。

郷に入れば郷に従え

お遍路には必ず守らなければならないルールは存在しませんが、他人への配慮や思いやりは必要です。特に、札所の境内は他のお遍路さんも多く、強い思いを抱えているかもしれません。

相手への配慮や思いやりがあれば、自ずから迷惑行為は避けることができます。しかし、仏教の世界は難しいもので、観光として訪れる方には何が迷惑行為となるか分かりません。

そこで、仏教的な背景が分からないという人はお遍路の作法を学ぶとよいでしょう。郷に入れば郷に従えと言うように、作法を守ればトラブルを防ぐことができます。