お接待とは
四国には「お接待」という文化が根付いています。お接待とは無償でお遍路さんにお菓子や飲み物などを施すことを言います。
お遍路がバスや車で巡拝できるようになったのは1200年の歴史を考えるとごく最近のことです。当然ながら、昔はすべてを歩いて回らなければなりませんでした。
その当時、歩く道は整備されていません。正確な天気予報もありません。本州と四国に橋もかかっていません。つまり、今よりも過酷な状況で四国八十八カ所を巡拝しなければなりませんでした。
その証拠に、お遍路の衣装である白装束、金剛杖、菅笠などは死装束をあらわしています。つまり、お遍路の道中で倒れることを予め考慮して回っています。お遍路は死ぬ覚悟をもって巡拝するというものでした。
死ぬ覚悟で四国に来るお遍路さんを支えたのが地元の人々が行うお接待でした。いつ死ぬかもわからない危険な状況だということを地元の人は分かっています。お遍路さんを応援して助けたいという気持ちがお接待という文化に発展しました。
また、お接待はお遍路さんへの施しだけでなく、弘法大師空海に対するお供えの意味も含まれています。空海に施しをした人は功徳を積むことになります。仏教的に善い行いをすることでご利益が得られるためです。
お接待はモノだけではない
私が歩き遍路をした時に何度もお接待を受けました。実際に行われているお接待は次のようなものがありました。


・お菓子
・飲み物
・おにぎり
・みかん
・現金

・休憩所
・挨拶
・道案内
・世間話



物を与えるだけがお接待ではありません。お遍路さんを応援する気持ちを表すものがお接待です。四国に住む人はお遍路さんを見かけると挨拶をして、「頑張ってください、ご苦労様です」などと声をかけることが当たり前になっています。
歩き遍路の経験の中で強く印象に残っていることとして小学生の女の子に「がんばってください」と声をかけられたことです。親戚以外の小学生と挨拶を交わすのは約10年ぶり。私はとても驚きましたが、その女の子はすごく自然に日常的に挨拶をしてくれました。
私には修行や自己鍛錬のように強い目的があって頑張っているわけでもなく、お遍路の格好をして歩いているだけなのに四国に住む人の全員から応援されていると感じました。当然うれしくなってしまいます。
四国にはお遍路さんは偉い人だというイメージが染みついています。そのため私のような若者に対しても合掌をされる方もいます。それと同時にお遍路さんを物質的にも精神的にもお接待するのです

お接待を受けた時のルール

お接待には納札
お遍路中にお接待を受けたら、感謝をすることは当然ですが、納札を渡して「南無大師遍照金剛」を3回唱えるという作法があります
お接待にはお遍路さんへのサポートと弘法大師への施しという2つの意味があることを考えれば理解できます。
単なるお遍路さんへのサポートなら感謝だけでも十分ですが、お接待をする方が弘法大師への信仰が厚く、功徳を積んでいるのだとすれば、それを配慮すべきです。
功徳とは仏教的に善い行いを意味し、功徳を積むことでご利益を得られると考えられています。お寺にお賽銭を納めることと同じように、お遍路さんにお接待をすることも功徳を積むことになります。そのため、お接待を受けた証に納札を渡すという風習が生まれました。
お接待は断れない?
お接待を断ることは功徳を積むことを邪魔することになってしまいます。そのため、基本的にお接待は拒否できないという作法もあります
ただし、全行程を歩いてお遍路することを決心している場合、「次の札所まで車で送ろう」というようなお接待を受けると板挟み状態となってしまいます。そのような場合、きちんと理由を説明してお接待を断りましょう。
また、たくさんお接待をいただけることは有難いですが、荷物が重たくなって負担となるような場合も理由を説明して気持ちだけ受け取るようにしましょう。