基本情報
名称 |
高福山 雪蹊寺 |
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名称(読み) |
こうふくざん せっけいじ |
本尊 |
薬師如来 |
駐車場 |
あり(無料) |
宿坊 |
なし |
桂浜から車で訳10分のところに33番 雪蹊寺はあり、のどかな風景に包まれています。雪蹊寺は八十八ヶ所中2つしかない禅寺のひとつで、もう一つは11番 藤井寺です。
座禅による修行が有名な禅宗はインド出身の達磨(ダルマ)によって開創され、現在では臨済宗や曹洞宗に分かれます。
雪蹊寺の見どころ
・太玄塔
・仏像
かつて雪蹊寺には山本太玄という住職がいました。明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により廃寺になった寺を復興させた名僧で、彼の功績をたたえて太玄塔が建てられました。
この太玄塔を建てたのは次の住職である玄峰です。彼は眼病を患い失明寸前の時に四国遍路で病気平癒の祈願をしていたところ、太玄住職に救われたというエピソードがあります。
鎌倉時代の貴重な仏像を拝観したいなら雪蹊寺がおすすめです。事前に予約をすれば安置される仏像を拝観でき、運慶の作と伝わる本尊・薬師如来を始め、日光・月光菩薩、毘沙門天、吉祥天、善膩師童子(ぜんにしどうじ)が有名です。
毘沙門天、吉祥天の息子は善膩師童子
毘沙門天と吉祥天は有名な仏像ですが、2人が夫婦で善膩師童子(ぜんにしどうじ)という息子がいることは、あまり知られていません。
この仏像家族を祀る際は中央に毘沙門天を配置し、両脇に吉祥天と善膩師童子という配置を取ります。
雪蹊寺にある毘沙門天、吉祥天、善膩師童子は湛慶(たんけい)という仏師の作と伝えられます。彼は東大寺南大門の仁王像で有名な運慶(うんけい)の息子で鎌倉時代に作られました。
運慶、湛慶は鎌倉時代に雪蹊寺を訪れ、薬師如来などの仏像を奉納したことから、現在は「鎌倉仏像の宝庫」と呼ばれるほどの寺となり、重要文化財などが数多く安置されています。
札所の歴史
延暦年間(782~806年)、弘法大師が開創したとされます。鎌倉時代には運慶、湛慶にちなんで慶運寺という名に改められますが、廃れてしまいました。
天正年間(1573~1592年)、当時の権力者で戦国武将の長宗我部元親の力で最高を果たします。しかし、明治時代に廃仏毀釈で再び廃寺になりますが、17第住職・山本太玄により再興され現在に至ります。
本尊
本尊は寺の中心的な仏様で本堂に祀られています。雪蹊寺では薬師如来が本尊として祀られています。
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