高野山奥の院には織田信長を始め、戦国武将の墓があります。また、宗派や時代を問わず有名人の墓が数多く存在します。

しかし、そうした墓の意味や由来を理解せず参拝するのはもったいないことです。そこで知識を深めてから高野山を訪れると楽しみが倍増します。ここでは「高野山にある戦国武将の墓」について、歴史や注意点を踏まえて詳しく説明していきます。

高野山奥の院に20万基を超える墓がある理由

高野山の奥の院には20万基以上のお墓が集まるとされています。なぜ、これだけたくさんのお墓が集まることになっているのでしょう。

奥の院には弘法大師(空海)の廟(びょう)があり、56億7000万年後に弥勒菩薩と共に蘇るとされています。その瞬間に立ち会い、弘法大師の説法を聞けるように高野山奥の院には墓が設置されています。

弘法大師は現在、弥勒菩薩とともに、兜率天(とそつてん)という世界で瞑想中であり、蘇った後にどのように人々を救おうかと考えているのです。

そうした信仰から、高野山奥の院には墓が集まります。ただし、ほとんどの墓には遺骨が納められていません。魂だけが祀られている供養塔(くようとう)が多いでのです。

明智光秀の墓石にはヒビが入っている

いくつか具体的に有名人の墓を紹介していきます。明智光秀は「本能寺の変」で織田信長を討った戦国武将です。以下は高野山の奥の院にある明智光秀の墓の写真になります。

このような形状の墓を五輪塔(ごりんとう)と言います。五輪塔は5つのパーツから構成され、上から順番に「空・風・火・水・地」の意味があります。仏教ではこれら5つの要素によって世界が構成されていると考えられています。

明智光秀の五輪塔を訪れると、「水」の丸い墓石にヒビが入っていることが分かります。これは「信長の呪い」によるものだと言い伝えられています。

信長は明智光秀に本能寺で焼き討ちにされたため、明智光秀への怨念と、水を求める気持ちが暮石に現れているのだそうです。なお、明智光秀の墓は何度も修復されていますが、その度にヒビが入ってしまうのです。

織田信長の墓

奥の院には、織田信長の墓もあります。大通りから少し入った場所にあるので目立たないところにありますが、多くの参拝者が訪れます。

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供物をする人も多く、人気の高さがうかがえます。同じ敷地内に織田信長と明智光秀の墓が共存していることは不思議なことです。

豊臣秀吉の墓

豊臣秀吉のお墓についても見ることが可能です。現在あるのが分かっているのは、「母・弟・姉・長男・淀君・秀吉」の6つです。

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豊臣秀吉の墓の特徴としては、敷地がとても大きいことが挙げられます。墓同士の間隔も広めにとられていますし、柵なども用意されているので豪華な様子であるのは一眼でわかります。

武田信玄の墓

武田信玄の墓については、「見つけやすい」のが大きな特徴です。奥の院にはたくさんの武将の墓があるので、ついつい見逃してしまいそうになるのですが簡単に見つけることができるのが「武田信玄」の墓です。

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出典:LINEトラベル

そのため、初めてでも安心して訪問することができます。真っ直ぐに立っていて、シンプルでありながらも雄大さを感じることができる様子であるとは写真を見るだけでもすぐに分かります。

上杉謙信の墓

上杉謙信の墓についても、奥の院にあります。武田信玄とは戦った仲でありながらも同じ高野山に墓があるのは不思議な感じもします。

上杉謙信と武田信玄は川中島の戦いで争った歴史があります。奥の院でそれぞれの墓の位置関係を確認すると、大通りを挟んで両側に配置されています。

こうした位置関係から、中央の通り道を「川中島」と呼ぶ人もいます。上杉謙信の墓は天井などについても、細かい部分にこだわりがみられるのが特長です。高台にあることからも、少し威圧感を感じる様子になっています。

芸能人の墓

高野山には歴史上の人物だけでなく、芸能人の墓もあるのが特徴です。注目すべきなのが、ジャニーズ事務所などでも有名なジャニーさんのお墓です。

ジャニー喜多川氏の父は真言宗の僧侶だったことなど、高野山との繋がりがあったそうです。そうした縁もあり、ジャニーさんは高野山に骨を埋めることを決めたのでしょう。彼を偲んで墓参りに訪れるジャーニーズタレントも多いそうです。

まとめ

高野山を訪れてみると、想像以上にたくさんのお墓があることがわかります。それぞれ形や造形なども異なっているので、個性的であることが伺えます。
芸能人のお墓についても、今回はジャニーさんを取り上げましたが歌舞伎役者や映画スターなど数々のお墓があるのが特徴です。