現代のお遍路スタイル
四国八十八ヵ所霊場を巡るお遍路の旅は、修行僧によってはじめられました。弘法大師・空海の足跡をたどる修行の旅だったのです。
今から1200年前、空海が生きた時代は88ヶ所の札所は指定されておらず、江戸時代になってから札所が決定したと考えられています。
それに伴い、お遍路では弘法大師を慕う庶民によって様々な作法やルールが決められてきたのです。現在では宗教的な意味合いを離れて観光目的でお遍路を巡る人が増えてきました。
さらに、仏教は誰でも受け入れるという姿勢であるため国籍や宗教にとらわれず、お遍路さんになることができます。
観光バスでお遍路をする人、宗教的な目的が無くても歩いてお遍路をする人、キリスト教徒のお遍路さんなど多様な人がお遍路をしています。仏教や弘法大師を信仰しないのであれば、作法は必ずしも守る必要はありません。
代表的なお遍路の作法として次のようなものがあります。
▽札所にて
・山門で一礼する
・手水場で手を清める
・本堂、大師堂前で般若心経を読経する
・納札を奉納する
・写経を奉納する
など
▽遍路道にて
・金剛杖、菅笠、白衣などの服装
・橋を渡る際は杖を突かない
・自分が休憩する前に弘法大師の化身である金剛杖を休める
など
無知による迷惑
お遍路の作法は必ずしも守る必要はないと言いました。それは他人に迷惑をかけないことを前提とした話です。時に、お遍路の作法を知らないことが原因で他のお遍路さんに迷惑をかける可能性があるからです。
お遍路さんには様々な人がいます。修行目的の人、先祖の供養が目的の人、病気の根治を願っている人、観光客などです。お遍路は単なる観光地でないことを意識して行動しましょう。
例えば、本堂の前で真剣に般若心経を読経しているお遍路さんがいたとします。その隣で備え付けの鐘を何度もうるさく鳴らしたり、大騒ぎしたりすると読経の迷惑になります。
読経は功徳を得るために行います。功徳とは仏教的に善い行いのことです。しかし、他人が読経中に鐘をうるさく鳴らすと、その人の仏様に対する功徳を邪魔してしまうと考えられています。
そのため、何も知らずに鐘を鳴らしてしまうと他人を不快にさせる可能性があります。たまに、お遍路中に迷惑をかけてしまった状況になると、お遍路の経験や知識が豊富な方が注意してくれることがあります。
しかし知識が無ければ、なぜ迷惑をかけてしまったのか理解できないと思います。仏教的な背景を知らない人は特に要注意です。
もし、お遍路の作法について注意されたときは素直に従いましょう。郷に入れば郷に従えと言うように、周囲と同じように行動すればトラブルを減らせます。
知らなければ迷惑となりうる作法
・境内は左側通行
・手水場では最後に柄杓の柄を清める
・柄杓は口に付けない
・札所の鐘は自由にならせない所もある
・読経中に備え付けの鐘を鳴らす
・他人の納札を盗らない
・ローソクを備える際は他人の火をもらわない
・お接待を受けたら納札を渡す
・お接待は断らない
など
手水場について
手水場(ちょうずば)では手や口を水によって清めます。仏様に参拝する前に自身の身を清めるという意味があります。自分が持った柄杓の柄の部分は手で直接触るため、最後に柄の部分を水で流して清めます。
また、柄杓を口に直接付けて口をゆすぐことは衛生的にも良くないので避けましょう。口をゆすぐ際は柄杓から手に水をとって口へ運びます。
他人の功徳について
札所で読経したり、ローソク、線香、納札、写経などを奉納したりすることは功徳という仏教的に善い行いであり、功徳を積むことでご利益が得られると考えられています。
他人が読経中に鐘を鳴らすこと、ローソクの火を他人のローソクから移して付けることは他人の功徳を邪魔するとされています。他人の納札を盗むことも同じです。
誰かが読経していれば鐘を鳴らすのを控え、ローソクはマッチやライターなどを使用して自分で付けましょう。
お接待について
お遍路さんにお菓子などを無償で差し出すお接待は四国に根付く風習です。お接待を受けた際は感謝の言葉とともに納札を渡し、「南無大師遍照金剛」を3回唱えることになっています。
なぜ、このような作法があるのか。それは、お接待には2つの意味が込められているためです。それはお遍路さんへのサポートと弘法大師への施しです。
単なるお遍路さんへのサポートなら感謝でも十分ですが、お接待をする方が弘法大師への信仰が厚く、功徳を積んでいるのだとすれば作法通りにすることでお接待に応えることになります。
また、お接待を断ることも功徳を無駄にしてしまうため良くないとされますが、荷物の重量などの関係でやむを得ない場合は理由を説明して丁寧にお断りしましょう。