四国は誰でも受け入れる
四国にお遍路に来る目的は人により様々です。現在では観光目的のお遍路さんが最も多く、修行や死者の供養と言った目的の人は少数です。
元々、お遍路は弘法大師・空海の足跡をたどる修行の旅として僧侶の間で行われてきましたが、江戸時代になって一般庶民にも流行しました。
やはり、人々が四国に魅力を感じるポイントは「誰でも受け入れられ救済される」という希望でした。現在もそうですが、お遍路は国籍や性別、宗派などの制限はありません。誰でもお遍路をすることができます。
また、最近まで治療法がなかったハンセン病など難病にかかった人の中には故郷を追われ四国にたどり着いた人もいます。四国を巡りながら弘法大師や薬師如来のご利益を授かろうとし、同時に死に場所を探していたのです。
職業遍路、ホームレス遍路
四国八十八ヶ所、お遍路の世界に足を踏み入れると「職業遍路」、「ホームレス遍路」という言葉を1度は耳にするはずです。
彼らは常に四国を巡礼し、托鉢やお接待を受けながら生活しています。やはり、「誰でも受けられて救済される」という希望により四国に引き寄せられたのでしょう。
また、四国には昔から「お接待」という文化が根付いています。地元の人々がお遍路さんに見返りを求めずに施しをするというもので、食べ物や飲み物、お金までお接待されることがあります。このお接待により職業遍路は食い繋いでいるのです。
職業遍路の多くは野宿をしながら1年中、歩き遍路をしています。そのため、服装や持ち物はボロボロでリヤカーやカートに荷物を載せて歩いている人が目立ちます。実際に私も歩き遍路の際に彼らに遭遇しました。彼らは毎日野宿をしているので野営場所の知識は豊富でした。
職業遍路、ホームレス遍路を人々は受け入れない
四国は誰しも受け入れられます。しかし、これは弘法大師や仏教的な話が前提です。残念ながら、四国の地元民は全員仏様のような考えではありません。
中には、職業遍路を不憫に思いお接待や托鉢をしてくれる人もいますが、職業遍路は断固拒否と考える人もいます。そのため、ヘンロ小屋などで目にする「野宿禁止」の張り紙はホームレスが集まらないように対策しているのかもしれません。
日本のことわざ「情けは人の為ならず」、新約聖書の言葉「与えよ、さらば与えられん」など人に与えることで自分に返ってくるという昔からの考えに基づくと、計り知れない事情を抱えていたとしても、受け取るだけの職業遍路は嫌われても仕方ないのかもしれません。