たった一人で旅に出たことはありますか?
「一人旅は寂しいし、不安だから行ったことがない。」と答えられるかもしれませんが、やってみなければ分からないこともあります。
確かに、仲の良い友達と一緒に旅行することも楽しいですが、一人旅でしか味わえないことがあるのです。
主体性を持つ
「主体性」という言葉があります。自分の意思・判断で行動しようとする態度という意味ですが、日常生活で主体性を発揮する場面は少ないです。
・学生の場合
学校に行く、いつもの友達とランチに行く、サークルに行く、バイトに行く、友達に誘われて遊びに行く。
・会社員の場合
会社に行く、弁当を食べる、会議に出る、残業する、同僚に誘われて飲みに行く。
これらはよくあるルーチーンですが、すでにやることが決まっているため考えなくても行動することができます。時間が来れば勝手にスイッチが入り、体が動き出しますが頭はそれほど働いていません。
一方、一人旅の場合はすべて自分に決定権があります。つまり、主体性が大いに発揮されることになります。
主体性を持つことで何が良くなるのか?
それは、自分の人生に責任を持てるようになります。
学校や会社など、同じ環境にいれば自分の人生設計を他人に預けている割合が大きくなります。そのため、時間が過ぎるのが早く感じて、あっという間に年を取ります。年を取って初めて自分の人生を振り返り、若いころに色々やっておけばよかったと思うのです。
主体性を持って行動すれば、自分の人生設計を考えることができ、年をとってから後悔しない生き方ができます。これは歩き遍路で学んだことです。
私は20代で四国八十八か所霊場を歩いて周る「歩き遍路」を一人で行いました。お遍路に来る人の年齢層は高く、60代、70代が多かったように思います。
彼らと話すと、「キミは若いから何でもできる。私には時間がない。」と言われることが何度もありました。
そして、死ぬ前に自分で何か達成したいと思い、死者の供養、懺悔の気持ちなどが重なって、お遍路の旅に来たと言います。
月日は百代の過客
江戸時代の俳人で、東北を旅した松尾芭蕉の「おくの細道」は次の一文から始まります。
“月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。”
時は永遠の旅人であり、一年、一年と過ぎて年を取るのも、歩き続ける旅人のようなものである。という意味です。
旅好きの松尾芭蕉だけでなく、唐の李白や日本の西行など様々な人物が「人生とは旅である」と考えてきました。どこかに行きたいと目的地を決め、旅を実行するための計画を練るという思考法は人生設計にも当てはまる思考法です。
このとき、すべての決定権は自分にあります。つまり、一人旅をすることで人生を旅するための感覚を養うことができます。
歩き遍路は一人旅に最適です。四国を一周するために約40日を要するため、大きなインパクトとして記憶に残ります。友達と行く3泊4日程度の小旅行では分からない要素が詰まっています。
また、松尾芭蕉が感じた「人生とは旅である」という感覚は歩きながらの旅です。当時は自動車や飛行機はありませんでした。旅といえば徒歩の旅です。
歩き遍路をしていると、道案内の目印として下のようなプレートが木の枝に掛けてありますが「人生すなわち遍路」と書かれているものを発見しました。やはり、お遍路をしている人も同じようなことを感じているのだと思いました。
別にお遍路でなくてもよい
私の経験から、お遍路を中心に話を進めていますが、人生の指針を旅で感じるためにはお遍路である必要はありません。
自分一人で計画を立てて、目的地を決めるような主体性のある旅ができれば、何か感じるところがあると思います。
たとえば
・海外一人旅
・ヒッチハイクの旅
・自転車で日本縦断
このように、自分にとって記憶に残る一人旅をお勧めします。大きな旅の中では必ず問題が発生します。しかし、実際に問題に直面しても、ほとんどの場合うまく解決できます。そして自信を持てるようになります。人生において問題が生じても「案外何とかなるという感覚」につながります。
すると、自分の人生は自分で決めることができ、うまくいかなくても後悔したり、他人に責任を押し付けたりしなくなるでしょう。
学校、会社、社会、環境に文句を言っても人生をやり直させてはくれません。自分で決めて自分で動かなければきっと後悔することになります。