ここ数日の間、心から「ありがとう」と感謝する出来事はありましたか?
学校や職場、家庭などでは本気で感謝する機会が少なくなります。なぜなら、当たり前の出来事に脳が慣れてしまっているからです。

ありがとうの語源

「ありがとう」を漢字で書くと「有難う」となり、有ることが難しいという意味でつかわれていた言葉です。有ることが難しい、めったにない出来事を「有難き事」と言っていましたが、そこに感謝の意味が加わって「ありがとう」という言葉になりました。
あなたはどんな場面で感謝の気持ちを抱きますか?
財布を落とした時に拾ってくれたり、自分を危険から守ってくれたりした時などがあるかと思います。このような場面は珍しいため、自然に「ありがとう」という言葉が出てきます。
しかし、毎日経験する、当たり前のことに対しては感謝の気持ちは現れにくいのです。それは文字通り「有難し」とは言えないため自然に「ありがとう」が出てきません。
例えば、毎日食事をすることは当たり前ですが、野菜や料理を作ってくれる人がいること、一緒に食べてくれる友達、同僚、家族がいることなど、実は奇跡的な事です。毎日当たり前のように経験するため感謝の気持ちは薄れます。数日間、飲まず食わずでは、飢え死にするかもしれないのに。
感謝することが重要であるということは、仏教やキリスト教、古代の思想家などにより、長い歴史の中で常に語られてきました。しかし、毎日同じところで同じように生活していると、ありがとうの感覚が鈍くなり、他人に感謝するということを忘れてしまう危険があります。

第88番札所 大窪寺では「ありがたい、感謝、生かされている」

他人に心から感謝することが少ないと感じるならば、歩き遍路をお勧めします。歩き遍路では毎日人に感謝しながら四国を歩きます。日常の何倍も、数え切れないほどの「ありがとう」を言うことになるでしょう。なぜなら、四国には昔から「お接待」と呼ばれる特有の文化があるからです。
お接待とはお遍路さんに無償で施しを行うことです。地元の人はおにぎり、お茶、あめ玉などを渡してくれることが多いですが、お遍路さんをサポートするために他にも様々なお接待をしてくれます。都会で知らない人からおにぎりを渡されても、絶対に食べませんが、四国の田舎では、なぜかそれを受け入れることができます。
また、お接待を受けると、お遍路をしている自分を応援してくれている事、親切にしてくれる事、尊敬されている事などが伝わり、自然に感謝の言葉が出てきます。
お接待だけでなく、お遍路さんに「ご苦労様です」、「頑張ってください」などと挨拶をすることも四国には根付いています。小学生でもお遍路さんに声をかけてくれるため、親から子へと受け継がれていることが分かります。
そして、このように感謝し続けながら八十八ヵ所霊場を全て巡拝すると次のような感想を言うお遍路さんがたくさんいます。
・ありがたい
・感謝
・生かされている
試しに第88番札所の大窪寺に行ってみてください。88ヵ寺を回りきった多くのお遍路さんはこのような気持ちを持っていることがすぐにわかります。

 「ありがとう」の感覚を研ぎ澄ます

四国を歩いて一周すると、感謝をする感覚は必ず敏感になります。つまり、些細なことでもその有難さを感じ取ることができます。お遍路では毎日誰かに感謝しながら歩き、自分一人ではお遍路を達成することができなかっただろうと思うからです。
そこで日常に戻ると、意外と感謝する場面が多いことに気づきます。そして、感謝の気持ちを口に出して相手に伝えることで、良い関係になったり、幸福感がアップしたりします。また、ダイレクトに「ありがとう」と言わなくても、一緒にいると楽しい、安心するなどでも大丈夫です。
本心でありがとうと言われて嫌な気持ちになる人はおそらくいないはずです。