四国八十八ヶ所の札所を巡る、お遍路の旅は昔から多くの人に親しまれてきました。巡礼のルールが無く、誰でも参加でき、病人でも罪人でも受け入れるというお遍路の性質によるものです。
お遍路の参拝方法や服装など伝統的に続くスタイルはありますが、必ずしも守る必要はありません。お遍路の手段も何を選んでも問題ありません。代表的なお遍路の手段について、その特徴を解説します。
歩き遍路
お遍路はもともと修行の旅でした。高野聖(こうやひじり)など弘法大師を信仰する人々が弘法大師の足跡を訪ね歩いたことがお遍路の起源だと考えられています。
現在でも総距離1200kmの道のりをすべて歩く人々も少なからずいます。歩き遍路は日数をかけて歩くことで多くの出会いと学びを得られる旅になります。
また、歩き遍路では昔から残る遍路道を通ることがあります。例えば、山道や田んぼのあぜ道などです。これは専用の地図を見ながら歩くことになります。
多くの人は歩き遍路が最もご利益を得られる方法だと考えています。しかし、それを確信できる人は誰もいません。
私が出会ったベテランお遍路さんは10回以上の歩き遍路を経験していましたが、願い事は何も叶わないと愚痴をこぼしていました。ただ、1200kmを歩くという大きな経験により必ず気持ちに変化が訪れます。
歩き遍路ができる人は限られています。体力、旅費、時間の3条件を満たす人でなければ歩き遍路で結願することは難しいです。
自転車遍路
歩き遍路に次いで厳しい手段が自転車遍路です。ロープウェイなどを使用すればすべての札所に道は繋がっているので自転車でもお遍路ができます。
自動車でお遍路をするより地元の人や他のお遍路さんとも挨拶を交わしたり話したりする機会は多くなります。そのため自転車遍路は観光と修行の中間的な位置づけになります。
ただし、忘れてはならない点として八十八ヶ所の札所は高低差のあるところに位置しているため、上り坂は相当な苦労を強いられます。また、自転車のメンテナンス技術も必要となります。
車遍路
道路やトンネルが整備されたので自家用車でもお遍路ができるようになりました。多くのお遍路さんは弘法大師にゆかりのある札所を巡り、ご利益を求めています。
車では総距離1400kmの道のりを運転するので、連続で巡礼すると疲労が蓄積します。一方、区切り打ちなら観光気分で気楽にお遍路ができます。自分の力で運転して結願すると大きな達成感が得られるはずです。
お遍路の札所は信じられないほど山奥にある個所もあります。そのため、車道が細く注意して運転しなければなりません。
バス遍路
現在最も人気の手段が観光バスで行くお遍路ツアーです。ガイドとしてお遍路に詳しい先達さんが同行することが多いので、参拝作法やお遍路の歴史について知ることができます。
バス遍路は観光というよりお参りというイメージです。そのため、お遍路の札所以外に立ち寄るところは少ないです。人によっては忙しいと感じてしまうかもしれません。
お遍路ツアーには通し打ち、区切り打ちの両方のプランがあり自分に合った計画を立てることができます。
一切心配しなくても順番に札所を参拝でき、宿も確保されているので快適な観光になります。そのため、日常を離れた癒しを求める人が多く参加しています。
車遍路より歩き遍路が立派なの?
私は大学生の時に歩いてお遍路をしました。大きなリュックを背負って歩いているとバスツアーで着ていたお遍路さんに「全部歩いているの?偉いね」と言われたことを覚えています。
また、「何回目のお遍路ですか?」とお遍路の回数についてもよく尋ねられました。もちろん当時は初めてのお遍路でした。
お遍路をしていると、車で巡るお遍路より自分の足で巡るお遍路の方が立派であり、経験回数が増えると、なお良いという考えが存在していることに気づきました。中には、本当のお遍路は歩かなければ意味がないという考えを持つ人もいます。
確かに、お遍路には手段や回数によって見えるものが変わってくることは事実です。バス遍路の人には歩き遍路の景色は見えません。その逆も同じです。また、10回お遍路をしている人と初めての人では考えることが違うかもしれません。
しかし、お遍路さんに偉い、偉くないといった関係は無いと思った方がよいでしょう。回数や手段で競い合っても誰の得にもならないことは分かりきっているからです。
自分が納得する手段で納得するまでお遍路をすればよいのです。もちろん、途中でお遍路を諦めても文句を言う人はいません。