金剛杖
歩き遍路の必須アイテムである金剛杖は木製の杖です。金剛杖をつきながら歩くと歩行の際に体重の負荷が杖に分散するため足腰の保護となります。そのため「第三の足」と呼ばれることもあります。また、四国の人々はでは金剛杖、白装束、菅笠の格好を一目見ればお遍路さんだと認識します。
同行二人
金剛杖は形として持ち歩いているだけではありません。昔から、金剛杖は弘法大師(空海)の化身だという意味あいが込められています。真言宗の開祖である弘法大師は四国八十八ヵ所、お遍路の開祖とされています。
つまり、杖をもってお遍路をすること=弘法大師とお遍路をすることになるのです。この考え方は「同行二人」と呼ばれていて、たとえ一人で歩いていてもそばに弘法大師がついていると思うことです。同行二人の考えは誰もいない山間部を歩くお遍路さんの不安感を和らげました。
弘法大師は今から1200年前に生きた僧侶ですが、現在も高野山の奥の院の地下で瞑想を続けていると考えられています。そのため、高野山では奥の院に毎日食事が運ばれています。
お遍路は1200年の歴史を持ち、今では観光がメーンとなっています。ただし、観光お遍路が人気になったのは江戸時代からなので、お遍路は弘法大師への信仰心が長く続いてきた一因となっています。その名残が金剛杖ということになります。
金剛杖の形
金剛杖にはもう一つの意味が込められています。
金剛杖の上端のカバーを外すと卒塔婆を模した形状に加工されています。卒塔婆は梵字や戒名が書かれた板の事で、死者の供養のためにお墓に建てられています。
なぜ、お遍路さんは卒塔婆を持って歩いているのでしょうか?
それは、もともとお遍路は過酷な修行で、途中で命を落とす可能性があったためです。今と違って昔はコンビニ、自販機、バス、電車はありません。そのため、お遍路に行くということは死ぬ覚悟をもっていかなければならなかったのです。
そこで、卒塔婆を常に持ち歩くことで、どこで命を落としても金剛杖が卒塔婆になって成仏できるようにということです。白衣を着ているのも同じ意味で、いつでも死に装束を着ているということになります。さらに、菅笠に書かれている言葉も棺桶に書かれるものなのです。
金剛杖を先に休める
お遍路にはルールはありません。これから紹介するのは弘法大師を信仰するお遍路の歴史の中で生まれた風習で、必ずしも守る必要はありません。
休憩するとき
歩き遍路の最中、休憩するときは自分がいすに座って休むより先に金剛杖を壁などに立てかけて休ませます。金剛杖は弘法大師の化身だからです。
宿に着いたら
宿に着いたら、自分が靴を脱いで上がる前に金剛杖の底を濡れたタオルなどでキレイに拭きます。弘法大師の足を洗うということです。そして、杖は部屋の床の間など上座に立てかけます。
橋の上では金剛杖はつかない
弘法大師が四国で修業をしたのは今から1200年前の平安時代でした。当時は観光目的のお遍路は無く、修行を目的としていました。そのため旅館などはなく、民家やお寺に宿泊していました。泊まるところが見つからない場合は野宿をしなければなりませんでした。
弘法大師も野宿をしていました。ある冬の寒い日に宿を探していましたが見つからず、結局川にかかる橋の下で寝ることにしました。しかし、寒さで全く眠れず一夜が十夜に感じてしまう程でした。
この言い伝えから、橋の下には弘法大師が眠っているかもしれないので邪魔をしないように、橋の上は杖を突いて渡らないという風習があります。
弘法大師が野宿したとされる橋は現在もあり、愛媛県の別格8番札所にある十夜ヶ橋(とよがはし)です。八十八ヵ所では43番札所の名石寺と44番札所の大寶寺の間にあります。