無数の仏像が存在する理由
仏教の世界には様々な仏様が登場します。それらは役割別に簡単に分類することができ、如来、菩薩、明王、天の4グループにまとめられます。しかし、なぜ多くの種類の仏が存在するのでしょう。
キリスト教やイスラム教などと違い、仏教には神様は存在しません。仏教の始まりはブッダという実在の人物が「悟りに至る方法」を弟子に伝えたことにありますが、その真理を人々が理解するのは非常に難しい事でした。
そこで、頭脳明晰なブッダの弟子が「お経」という例え話で人々に悟りへの道を説明し、その中に多数の仏が登場したのです。そのため、ブッダ本人を表現する釈迦如来以外の仏はすべて架空の存在ということになります。
また、仏教において悟りに至るという目的は変わりませんが、その方法やプロセスが時代や宗派によって異なります。それに従って篤く信仰される仏も異なるため多くの仏が誕生したのです。例えば、真言宗では大日如来、浄土真宗では阿弥陀如来が本尊としてまつられるケースが多くあります。
仏教の目的地、涅槃とは
仏教用語に涅槃(ねはん)、ニルバーナという言葉があります。これらは悟りの世界という意味で、涅槃に至るまでずっと苦しい現世をループするという設定があります。悟りに至らずに死んだ人は再び現世に生まれ変わってしまいます。
現世には大きく6個の世界があり六道(りくどう)と呼ばれます。六道輪廻から抜け出すために仏教を信仰しましょうというのが大前提としてあります。
その涅槃に行くために数々の仏が手助けをしてくれるエピソードが仏教の経典に書かれているのです。
各グループの説明
如来(にょらい)
代表例:釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来
如来と名の付く仏は最高ランクのポジションにいる仏様です。如来は仏教の目標地点である悟りの境地に至った者を意味するためです。人々は如来と同じ世界(涅槃)に行くために修行をしたり念仏を唱えたりするのです。つまり、如来は人々のお手本としての役割を果たすのです。
如来像に共通する特徴としては螺髪(らほつ)があります。ブツブツ状の髪型の事を螺髪と言い、如来に特有の特徴三十二相八十種好の1つです。その他に、眉間にある白毫(びゃくごう)、ふくよかな顔立ちと言った特徴があります。
菩薩(ぼさつ)
代表例:弥勒菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩
菩薩とは悟りに至るために精進する者、人々が悟りに至ることをサポートする者を指します。例えば修行の象徴である普賢菩薩(ふげんぼさつ)は数々の修行を成し遂げ、修行で得たことを人々に授けるという仏です。観音菩薩も人々を観察し救いの手を差し伸べてくれるという設定になっています。
菩薩像に共通する特徴として、きらびやかな服装・装飾品を身に付けることがあります。これは菩薩がまだ悟りに至っていないことを表現しているのです。また、様々な道具を持ち、これらを駆使して人々を救うとされます。
明王(みょうおう)
代表例:不動明王、愛染明王
如来や菩薩は人々を優しく導きますが、すべての人が教えを受け入れるとは限りません。そのようなひねくれ者に対して激しく説き伏せることで悟りへの正しい道へ導こうとする仏が明王です。
明王像に共通する特徴として、怒りに満ちた忿怒(ふんぬ)の形相があります。??りつけるような表情の裏には、人々を悟りに導きたいという優しい心が隠れているのです。
天部(てん)
代表例:毘沙門天、帝釈天、金剛力士
天部に分類される仏はガードマンとしての役割を担います。仏教の世界に煩悩が侵入することを防ぎ、人々が悟りに至ることを応援する存在と言えます。そのため、四天王や金剛力士は寺院の山門や入り口に安置されることが多いのです。
天部に共通する特徴として、武装する仏が多くあります。仏様と甲冑や剣はミスマッチな雰囲気がありますが、煩悩の象徴である邪鬼を追い払うために武装し、にらみを利かせているのです。