四国八十八ヵ所霊場巡り、いわゆる「お遍路」は都会から離れた自然の溢れる四国に癒しを求めるためて世界各地から人があるまります。
弘法大師空海の時代から続くお遍路は1200年の歴史があります。以前はお遍路と言えば修行や懺悔・救済を目的とする過酷なものでした。そこで、お遍路の道中で息絶えることを覚悟していたため白装束を最初から着て巡っていたのです。
1200年にわたって人々が歩いてきた四国のお遍路道はまさにパワースポットです。最近では歴史あるお遍路を気軽に楽しめるようになりました。
お遍路では基本的に88の札所を巡りますが、仏教的な信仰をもって実行している人は少数派です。ほとんどのお遍路さんは観光を目的として楽しみながらお遍路をしています。
私は大学時代に四国に住んでいたこともあって歩いてお遍路を回りました。その経験では気づきと学びが沢山あり、その中の一つに「歩き遍路では癒されない」ということがあります。

癒しを感じるのは最初の2時間まで

歩いてお遍路をすることを「歩き遍路」と言います。88の札所は四国を一周するように配置されているためすべての道のりを歩いて巡ると1400kmほど歩かなければなりません。
自動車やバスが普及したのは昭和時代なので、昭和以前のお遍路は歩き遍路が主流でした、しかし現在では圧倒的に歩き遍路は少数派です。
しかし次々と巡る観光バスへんろと違って、自分の足で進む歩きお遍路は四国のゆっくり流れる時間に身を任せて、気持ちの良いそよ風の中、金剛杖をつきながら癒しの旅ができると考えるかもしれません。
しかし、これは間違いです。
実際に歩き遍路をやってみると分かることですが、開始2時間以内に田舎の風景には飽きてしまいます。最初は「絶景かな」と感動するかもしれませんが、それ以後は同じ絶景しか見られません。
特に、初めてのお遍路だった場合は、白衣を着て歩いている姿や本堂の前でお経を唱えることに恥ずかしさを感じてしまうことがあります。また、長距離を歩くことに慣れていないため筋肉痛になってしまいます。
さらに、その日の宿の事や次の日の計画、食事やトイレの事を考えていると頭がいっぱいになり、癒されている時間は残っていません。そのため、必死の形相で歩いているお遍路さんにすれ違うこともあります。

お遍路では成長する

歩き遍路は体力、精神力、忍耐力を必要とするため癒しは得られません。しかし、得られるものは得られます。それは自分自身の成長です。
1番札所から88番札所に歩いて行くだけで、旅に出る前の自分とは全くの別人と感じることができます。レベル1からレベル88までアップするような感覚です。
自動車や観光バスによるお遍路では歩き遍路による成長には到底及びません。自分の足で歩いたからこそのものなのです。
日常生活では自分の成長を実感できる状況は滅多にありません。努力をしていたとしても実を結ぶとは限らないからです。しかし、お遍路では1歩1歩着実に進むことで必ずゴールにたどり着けるようになっています。
その成功体験がお遍路を終えた後に自信になって新しいことに挑戦できるようになります。

癒しを求めるなら観光バスで

歩き遍路は費用と時間がかかります。また、疲れるだけで癒しは得られません。
そこで、癒しを求めたい方は観光バスによるお遍路ツアーか別の観光のついでに数ヶ所巡るような旅が向いています。
お寺の雰囲気、白衣のお遍路さん、読経の声、鐘の音などあなたを癒してくれるものが沢山あるはずです。