お遍路にルールはない
四国八十八ヶ所を巡るお遍路にはルールは存在しません。お遍路の目的や手段、服装など特に決められたスタイルはなく、自由にカスタマイズできます。
しかし、約1,200年の歴史を持つお遍路にはいくつかの風習、文化が継承されています。その代表例が「お接待」です。お接待はお遍路さんへのサポートと弘法大師への施しの意味が込められており、地元の人によって受け継がれています。
また、お遍路さんに続く風習として、橋の上を歩くとき金剛杖を突かずに渡るというものがあります。これは弘法大師にまつわるエピソードが起源となっている風習です。
当然、橋の上で杖を突いても咎められることはありませんが、お遍路さんの間では常識となっているので多くのお遍路さんは橋の上で杖を突きません。
十夜ヶ橋(とよがはし)のエピソード

今から約1,200年前、弘法大師は四国で修業をしていました。冬のある日、泊まる場所が見つからずに日が暮れてしまったので、仕方なく野宿をすることにしました。
川に架かる橋の下で横になって寝ようとしましたが、寒さで一睡もできずに夜が明けてしまいました。
弘法大師は寒い中ずっと我慢して夜明けを迎えたので1夜が10夜の時間に感じてしまうほど長く感じました。
その時、弘法大師が野宿したとされる橋は現在の愛媛県、別格8番札所にある十夜ヶ橋だと伝えられています。

お遍路さんが橋の上で杖を突かない理由は、現在でも弘法大師が四国で修業をしていたら橋の下で眠っているかもしれないので、杖を突くと眠りの邪魔になってしまうからです。
実は、弘法大師は今もなお四国で修業をしていると信じられています。弘法大師は高野山の奥之院で眠っていますが、入定(にゅうじょう)と呼ばれて成仏せずに瞑想を続けている状態にあるとされています。その魂が四国で修業をしていると考えられているのです。
弘法大師への信仰
お遍路をしていると「弘法大師」、「お大師様」という言葉を必ず耳にします。弘法大師は真言宗や四国八十八ヶ所霊場の開祖である空海を指します。
約1,200年前、真言宗を開く前の空海は四国で修行をしていました。険しい山や海岸の近くで修業をすることで心身ともに鍛えていたのです。
生前の功績が認められた空海は天皇から弘法大師という名前を授けられました。現在でも四国の人は弘法大師へ親しみを込めて「お大師様」と呼んでいます。
実は、弘法大師が生きた時代のお遍路には八十八ヶ所の札所は無く、現在の巡礼スタイルとは異なっていました。真言宗を日本中に広めるなどした空海を信仰する人々が空海の足跡を巡り、現在の巡礼スタイルになりました。
現在のように観光化する前の時代は弘法大師を信仰する人々によってお遍路が受け継がれてきました。そのため、お遍路には十夜ヶ橋のように弘法大師にまつわるエピソードが数多く残っているのです。