四国霊場 第51番札所 石手寺:元祖お遍路さん衛門三郎伝説

四国霊場 第51番札所 石手寺:元祖お遍路さん衛門三郎伝説

基本情報

名称

熊野山 虚空蔵院 石手寺

名称(読み)

くまのさん こくうぞういん いしてじ

本尊

薬師如来

駐車場

あり(有料)

宿坊

なし

 

51番 石手寺は道後温泉から徒歩で行けるほどの距離にあり、松山駅から坊ちゃん電車→道後温泉→石手寺なんて観光コースも可能です。

 

お遍路の札所にはワビサビを感じる寺やモダン建築が並ぶ寺などバラエティに富んでいます。石手寺は観光スポットとしての雰囲気があり、門前で売られる「焼き餅」は旅のお供に最適です。

 

 

石手寺の見どころ
・マントラ洞窟
・子授け鬼子母神

 

本堂の横には怪しげな洞窟の入り口があります。「マントラ洞窟」は暗闇の中を歩くアトラクション的な存在で、長さは約200mあります。

 

洞窟内部には地蔵や仏画などが並び、神秘的な雰囲気を醸し出します。洞窟を抜けた先には閻魔大王の像が乗った門があります。突っ込みどころが多く、パラダイスの入り口にたどり着いた気分になってしまいます。

 

さて、境内の大師堂横には「子授け鬼子母神」が祀られるお堂があります。お堂の前にある石を持ち帰ると子宝に恵まれると言われ、子授け・安産祈願に訪れる参拝者が多くいます。

 

この鬼子母神が祀られるお堂は鎌倉時代に建てられたもので、国の重要文化財でもあります。

 

 

元祖お遍路さん、衛門三郎とは
昔々、824年〜834年頃の話です。衛門三郎と言う豪族が現在の愛媛県松山市に住んでいました。彼は強欲な性格で貧しい人々に厳しい労働をさせ、自分は優雅に暮らしていました。

 

ある日、一人の僧がやってきて食べ物を求めて来ました。すると、衛門三郎は何もあげるものは無いと言って追い返しました。

 

しかし、僧は毎日家の前に来て食べ物を求めたので、八日目に嫌気がさして僧が持っていた鉄鉢(てっぱつ)という托鉢の時に使用するお椀を地面にたたきつけて八つに割ってしまいました。

 

次の日から僧は現れなくなりましたが、衛門三郎の八人の子供が毎日一人ずつ死んで死んでしまいました。自分が無礼を働いた僧が弘法大師だったことに気づき、会って謝罪するための旅に出かけました。これがお遍路の始まりと言われます。

 

衛門三郎は20回も四国を巡りましたが空海に合うことはできませんでした。そこで21回目はこれまでとは逆向きで四国を巡ることにしました。

 

すると、12番札所焼山寺の近くで空海に再会し、過去の罪が許されました。さらに、空海は衛門三郎の願いを一つ叶えると約束したので「来生は国の政治を司る役人として国司になりたい」と言いました。

 

この時、空海は衛門三郎の左手に小石を持たせて、「必ず一国の主に生まれ変わるのだぞ」と語りかけました。すると、力尽きていた衛門三郎はその場で息を引き取りました。

 

その後、ある家に男の子が生まれましたが、左手を開こうとしません。そこで安養寺の住職に祈祷をしてもらうと左手が開き、衛門三郎再来と書かれた小石が出てきました。

 

これをきっかけに、安養寺は石手寺へと名前を変えました。

 

 

札所の歴史
神亀5年(728年)聖武天皇の勅願により安養寺として建設が始められ、翌年に行基によって開創されました。

 

その後、弘仁4年(813年)弘法大師がこの寺を訪れた時、法相宗だった寺を真言宗に改宗しました。また、寛平4年(892年)に石手寺に名称が変更されました。

 

本尊
本尊は寺の中心的な仏様で本堂に祀られています。石手寺では薬師如来が本尊として祀られています。

 

 

アクセス

 

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