基本情報

名称

藤井山 五智院 岩本寺

名称(読み)

ふじいざん ごちいん いわもとじ

本尊

不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩

駐車場

あり(有料)

宿坊

あり

清流として有名な四万十川に近い札所ですが、札所は標高300m程の高南台地にある、山間部の札所です。37番 岩本寺には客殿があり宿坊として運営され、多くのお遍路さんが利用します。
また、弘法大師にまつわる七不思議が伝わるスポットでもあり、いたるところでお遍路の情緒が漂います。
岩本寺の見どころ
・本堂の天井絵
・歓喜天
参拝時に本堂に入った時は、是非天井を見上げてください。天井には575枚の絵が格子にはめ込まれて、カラフルに装飾されているのです。
本堂の改修に合わせて天井絵を公募した所、約400人から絵が奉納されたと言います。絵のテーマは様々で一つ一つ見て楽しむことができます。
大師堂の前にある円柱状の建物には歓喜天が祀られています。歓喜天は「夢をかなえるゾウ」で登場するガネーシャというゾウの姿をした神様で、商売繁盛、夫婦円満、子宝などにご利益があるとされます。
本尊が5体ある謎
通常、寺の本堂には本尊として1仏が祀られることが多いですが、岩本寺は特別で不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩の5仏が本尊としてまつられます。この謎を解くには岩本寺の歴史を紐解かなくてはなりません。
実は、岩本寺は元々37番札所ではなく、福円満寺が37番札所だったのです。この福円満寺は岩本寺の近くにある高岡神社(仁井田明神)の境内にあった別当寺であり、高岡神社には5体の仏が祀られていたのです。
高岡神社には5つの社殿があり、それぞれに仏像が祀られていました。それを岩本寺に移動させた時に、5体全てを本尊としたため現在のスタイルになりました。
岩本寺の七不思議
1.三度栗
年に何度も栗を食べたいという子供の願いを聞いた弘法大師は境内の栗の木に向かって歌を詠みました。すると、子供の手が届くように栗の木が低くなり、1年に3回実を付けるようになりました。
2.子安桜
境内の桜の下で妊婦が苦しんでいたところ、弘法大師が祈祷をして無事に出産させることができたと言います。そのため子安桜を安産祈願のために参拝する人もいます。
3.口なし蛭
地元の人が田植えの時期に蛭に血を吸われて困っていました。すると弘法大師の不思議な力によって、蛭の口が亡くなり咬まれなくなったと言います。
4.桜貝
大師は岩本寺の近くの浜に桜を植えましたが、数年後に大師が再び訪れた時には桜の花が散っていました。そこで大師は歌を詠むと、浜にいた貝が桜の色に変化し、現在でも岩本寺の近くの浜では桜色の貝が見られます。
5.筆草
大師が筆を落としたところから筆の形をした草が生えてきました。それを筆草と言い、現在でも見られます。書の達人である弘法大師にあやかって、この草を持っていると字が上手に書けると言われています。
6.尻なし貝
近くを流れる伊与木川を大師が渡っと時、貝が足に刺さってしまいました。後から渡る人を案じて界の尖った部分を取ったと言います。それが尻なし貝として伝わります。
7.戸立てずの床屋
この地に住んでいた床屋は泥棒に家を荒らされて困っていました。そこで大師が祈祷をすると泥棒が一切入らなくなったので戸締りをしなくてもよくなったと言います。
札所の歴史
天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願により行基がこの地に7ヶ寺を建立しました。後に弘仁年間(810~824年)弘法大師がこの地に五社五寺を建立したので、合計して仁井田五社、十二福寺と呼ばれるようになりました。
仁井田五社の境内にあった福円満寺が元々の札所でしたが、廃寺により天文年間(1528~1558年)に中宮が札所となりました。
その後、別当寺の岩本寺が札所の役割を果たすようになりましたが、明治の神仏分離で廃寺になり、後に再興されました。
本尊
本尊は寺の中心的な仏様で本堂に祀られています。岩本寺では不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩が本尊として祀られています。
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