仏様の姿を具体的に表す仏像は現代の仏教で欠かせない存在です。日本だけでなくアジア諸国でも様々な仏像が造られ、人々をひきつけます。しかし、初期の仏教には仏像を崇拝する習慣がなかったという事実があります。では、仏像はどのようにして造られるようになったのでしょう。
仏教の始まり
仏像の起源を知るために、仏教の起源を知る必要があります。仏教は紀元前450年ごろ、インドの釈迦によって始まった宗教です。
釈迦の教えは涅槃(ねはん)という苦悩のない境地にたどり着くにはどうすれば良いかというものです。涅槃にたどり着くことは、出家や厳しい修行などを行うことにより達成できるもので、限られた人にのみ許されたことでした。
つまり、初期の仏教は神様仏様に願い事をするスタイルではなく、自ら努力をすることによって涅槃にたどり着かなければならないというものだったのです。
イメージできない涅槃の世界
釈迦は涅槃に至った経験を弟子たちに伝えて亡くなりました。弟子たちは釈迦の教えをまとめ、実践しました。しかし、非常に抽象度の高い涅槃をイメージすることは難しく、時代が経つにつれて涅槃のハードルは高くなっていきました。
そこで、何か目に見える対象があれば抽象的な涅槃についてイメージしやすいため、仏舎利(ぶっしゃり)や仏足石(ぶっそくせき)が各地で造られるようになりました。
仏舎利とはストゥーパとも呼ばれる塔で、内部に釈迦の遺骨が納められます。外壁には釈迦の生涯を表す絵が彫られ、蓮華や菩提樹なども表現されました。また、仏足石は釈迦の足跡を彫刻したもので、この上に乗るなどして釈迦を感じていたのです。
しかし、それでも具体的にイメージすることは難しく、ついに釈迦本人の像が造られ、それを拝むスタイルに変化しました。釈迦を表す仏像は釈迦如来と呼ばれます。
派生する仏教と多様な仏像
初期仏教は限られた人のみ涅槃に行くことが許されるような厳しいものでした。そのため、出家者と在家者の間に格差が生じ、新たな宗派として大乗仏教が起こりました。大乗仏教は皆で涅槃に行くことができるという考えが基本で初期仏教と異なるスタイルとなりました。
さらに時代が進むと、欲望に寛容であり、儀式や呪術を取り入れた密教が起こるなど、様々な宗派が生まれました。
これに伴い、様々な仏典が造られました。仏教の経典は涅槃に至るためのプロセスを分かりやすく説いたもので、その物語の登場人物として様々な仏が活躍します。つまり、釈迦如来以外の仏はすべてフィクションなのです。
このような理由で現在は様々な仏像が祀られ人々の信仰を集めるに至ります。